リヒターのマタイ

Bach: Matthaus-Passion

Bach: Matthaus-Passion

Stereo Sound誌に掲載された、音楽プロデューサー小林悟朗氏の追悼文の中に、5分でマタイを語れというのは無理、という話があった。語るのは無理でも、この録音の冒頭5分も聴けばその魅力は伝わる。
魅力という言葉で表現していいのかは疑問。全身全霊。一分の隙もない極限的な純度。何かを信じ、祈っていることは歌詞を知らずとも直に感じ取れる。曲自体がそう書かれているし、演奏も、そして録音までも同じだ。
バッハの他の曲を聴くと、時代の形式というものを意識するが、マタイは、ベートーヴェンの一部の弦楽四重奏曲と同様に、形式というものはもはや超越して、音楽そのものが剥き出しで提示されるような錯覚に陥る。
演奏は、感情が直接、歌や音として溢れ出したような明解さを持ち、けれん味は皆無で、どの瞬間も真摯に語り掛けられている気がする。
録音は、にわかに信じられないことだが、58年と最初期のステレオ録音にも関わらず、これが進化の最後に辿り着いた完全な機材で、恭しくその能力の全てを使いきって録音されたような雰囲気がある。少なくとも技師は一世一代の大録音を成し遂げたと思っていたはずで、その気概が音から聴き取れる。こんな経験は初めてのことで、正直耳を疑ってしまった。
よく聴けば、アナログ録音の低域の緩さや、不透明さもあるが、最新録音盤と比べても特段劣るものとは思えない。94年のドイツ盤はダイナミックレンジを十分に取って、天まで突き抜けるヴォーカルをきっちりと捉えている。